【取材日記】大槌町の子どもたちを支える会
更新日:2023年09月08日
岩手県上閉伊郡にある「大槌町」は人口約11,000人。鉄とラグビーの町として有名な釜石市の北隣に位置しています。1千メートル級の雄大な山々を背に、陸中海岸国立公園に指定されているリアス式海岸は景観も素晴らしく、また波の穏やかな湾内ではホタテや牡蠣などの養殖、鮭や秋刀魚などの海産物が水揚げされる漁港として栄えてきた風光明媚な町です。
テレビ番組「ひょっこりひょうたん島」のモデルになった宝来島があることでも有名です。
遠く離れた「大槌町」と「市原市の団体」がどのような経緯から交流することとなったのか、代表の志村淳子さん、会員の山口律子さん、時田幸子さんからお話を伺いました。
みなさんの中には、「大槌町」の名前に聞き覚えのある方もいらっしゃるかもしれません。2011年3月に発生した東日本大震災の津波や火災等により、町の人口の約1割にあたる1,200人以上の方が犠牲となり、民宿に乗り上げた遊覧船の映像が連日テレビで日本中に流れたことで、多くの方が大槌町を知ることとなりました。
代表の志村さんは大槌町のご出身で、震災直後から3日間は家族や親族とも連絡が取れず、安否も分からない状況が続いたそうです。幸いにもご家族は難を逃れましたが、ご実家は流され、ご親族やご友人など、多くの知人の方が亡くなられたそうです。
震災直後の4月末に大槌町を訪れた志村さんは、あまりの町の変わりように大変な衝撃を受け、故郷のために何か出来ることはないかと考え続ける日々を送るなかで、大槌町を心配する友人や近所の方々から被災地に届けて欲しいと連日のように自宅に物資が届けられるようになりました。日本中の方が被災地に心を寄せ、力になりたいと行動される姿を見て、被災地出身の自分だからこそ出来る支援があるのではないか、と思うようになったそうです。
志村さんの想いに共感した友人、市原市が主催した被災地でのボランティア支援の活動で知り合った方々が中心となり、震災翌年の2012年に顔の見える支援・交流を継続的に行う団体の設立を計画。支援内容を検討するなかで、大槌町には親を亡くした子どもたちが4割もいることを知り、これからの町を支えていく子ども達への支援を行うことで、少しでも子ども達が笑顔になり、その笑顔に支えられて町の方々が復興への歩みを進めていく力となる事を願い、団体名を「大槌町の子ども達を支える会」と定めたそうです。
最低でも10年間は継続して活動すること、活動を通して得た防災、減災、自助共助の知識を市原市や周辺自治体に広めることで、発生が懸念されている首都直下型地震に備える活動を行うことも活動目標として掲げました。主な活動内容は、被災地の状況を伝える写真展の開催、大槌町での年1回のボランティア活動、町の教育委員会へお渡しする支援金を捻出するための募金活動や物品販売、資源回収となります。
国分寺台東小学校での写真展の様子
君津市での写真展の様子 物産展は手芸品の販売も 大槌のマスコット「おおちゃん」人形
市原市役所での展示風景
被災地の状況を伝える写真展の様子が新聞やラジオ等で取り上げらえると、市原市だけでなく近隣の市町村からも写真展の開催を要望されるようになり、千葉市、君津市、東金市、館山市など県内の15以上の自治体で写真展を開催したそうです。写真展では会員による語り部活動を行うことで、被災地のことをより身近に感じてもらうだけでなく、防災についての会話に繋げることで、災害時の行動について考えるきっかけとなり、活動に興味を持たれた来場者が会員となる事も多いそうです。
また、災害直後の写真だけでなく、被災前の町の様子や復興状況を伝える写真を展示することで被災地を身近に感じてもらうとともに、復興には時間がかかること、自分たちの住む町も災害とは無縁ではなく日頃の備えが大切であることを伝える活動にも力を入れてきました。
写真展では大槌町の商店から取り寄せた特産物の販売、会員の特技を活かした手芸品の販売等も行いますが、上質のワカメや鮭をかたどった最中、地元の銘菓などが飛ぶように売れ、その事を知った商店の方々がとても喜んでくださったそうです。
会では1年に1度、会員や大槌町でのボランティア活動に興味のある方を募り、町でのボランティア活動を続けてきました。700㎞ちかく離れた大槌町へは朝の5時に市原を出発しても到着するのは夕方近くになる長旅。初めてツアーに参加される方もいることから、翌日のボランティア活動で何を行うのかは夜のミーティングで話し合い班分けを行います。
幼稚園や保育所では、凧作り・凧揚げ体験や紙芝居、交流センターでは足もみや手芸、市原市の郷土料理「房総太巻き寿司」の実演やカラオケなどを一緒に楽しむことで、町の方と会員の交流が深まっていったそうです。
ボランティア活動は大変さよりも喜びの方が遥かに大きいと、皆さん口を揃えて言いますが、「また来年ね!」と別れ、翌年再会した際に「1年間、あなたに教えてもらった足もみを自分で続けてきたのよ!」と笑顔で言われた時には、とても感動したそうです。ボランティア終了時の合言葉は、「さようなら」ではなく「またね」。会員の熱量や町の方々の感謝の声に支えられて活動が続けてこられたとの志村会長の言葉から、会員の皆さんと大槌町の皆さんとの絆を感じることが出来、胸がいっぱいになりました。
町の方からはお礼のフラダンスが披露されました 町の皆さんとの手紙での交流も励みに
会の皆さんが資源回収や写真展での募金等で集めた支援金は、毎年町の教育委員会に届けられ、子ども達の教育に役立ててもらっているそうですが、この取組みがきっかけで「大槌学園」と市原市の「加茂学園」との交流も新たに生まれました。
2019年に千葉県を襲った大型台風による被害を知った大槌学園の子ども達が、長年自分たちを支えてくれている市原の皆さんに恩返しがしたいと募金活動を行い、加茂学園に寄付をしてくださいました。寄付金を受け取った加茂学園の子ども達は使い道を考えるなかで、大槌町の学校が被災当時長期間にわたり住民の避難所となっていた話を聞き、災害時に役立つものを、と発電機を購入したそうです。被災地での教訓が市原の子ども達にもしっかり伝わっていたこと、支援金の御礼にと、リモートで両校の生徒が交流したことをきっかけに、今でも両校が交流を続けていることに、10年間の活動の意義を感じているそうです。いつか両校の子どもたちが直接会って交流することが出来たら嬉しいですね。
「大槌町の子どもたちを支える会」の活動が目標としてきた10年の節目を迎えるなか、大槌町から長年の支援に感謝して感謝状が贈呈されることになり、贈呈式のために町長さんをはじめ、町の伝統芸能である虎舞(とらまい)保存会の方々が市原市に足を運んでくださいました。当日は林教育長、教育委員会の方々、加茂学園と会場となった国分寺台東小学校の校長先生をはじめ、300名を超える市民の方が会場に集まりました。
平野大槌町長が語る震災当時の町の様子や、家族や友人、職場の同僚など多くの知人や住んでいた町を津波に奪われた喪失感、復興への長い道のりに涙する皆さんの姿を見ながら、会員の多くは10年の会の歩みに想いを馳せていたそうです。町長のご挨拶の最後に、「10年に亘り支援を続けてくださった会の皆様への感謝の想いを、町の代表としてどうしても直接伝えたかった」と言ってくださった事で、今までの活動がお互いにとって意味のあるものだったと改めて感じたそうです。
続いて披露された虎舞は町の伝統芸能として震災後も大切に伝承されている踊りとなりますが、初めてみる方も、大槌出身で久しぶりに故郷の踊りに触れる方も、お囃子の音色と勇猛な踊りに皆さん拍手喝采だったそうです。
YouTube配信されている「イチラジ」では、当日の虎舞の様子が伝わる音源も収録されていますので、是非、聞いてみてください。
大槌町の子どもたちを支える会「イチラジ」はこちら
コロナ禍で思うような活動が出来なかったなか、今回の訪問に併せて久しぶりに写真展を開催した会の皆さんですが、会員のなかには自主的に大槌町で活動を行うメンバーもいます。
新たな特産品を作ることで就労支援が出来ないかと考え、千葉県を代表する農産物「落花生」のなかでも、約2倍の大きさで収穫量も多い千葉県育成落花生品種「おおまさり」の栽培に挑戦している仲間は、千葉県からの許可をいただいた上で苗を大槌に持ち込み、町の方々と試行錯誤を重ねながら栽培に取組んでいるそうです。苦労のかいがあり、最近では大粒の落花生が収穫できるようになり、今後は販売に力を入れていきたいと張り切っているそうです。
今年度で「大槌町の子どもたちを支える会」は団体としての活動には区切りを付けるそうですが、団体活動から生まれた絆を大切に、今後も被災地支援としての活動に留まらない交流活動の橋渡しをしていきたいと抱負を語ってくださいました。
これからも大槌町との交流が続いていくことを願っています。